穴子の佃煮

 肺癌のため闘病中の夫は、身体中に転移した癌の痛みと、薬の副作用で吐き気と下痢に苦しんでいます。
 まともに食事が摂れない夫にいてもたってもいられず「食べたい物はないの」と聞くと「何も食べたく無いよ。何か食べなきゃいけないと思うんだけど喉を通らないんだ。食欲が無いんだなぁ」と言うばかりです。

 ある日病院のベットでテレビを見ていた夫は、グルメ番組で穴子の佃煮が紹介されると、懐かしそうに子供の頃の話をし始めました。
「親父は酒好きだっただろ。浅草に用事があって出かけると、たまに老舗の佃煮屋さんで酒の肴に穴子の佃煮を買ってきたんだよ。熱燗を飲みながら大事そうに食べてたなぁ。次の日のお弁当には穴子の佃煮がほんのちょぴり入っていてね、それを細かくほぐして白飯と混ぜて食べると、穴子の旨みと醤油の塩気がご飯にぴったり合って、それだけでペロッとご飯の半分を食べちゃったんだ。もっと食べたかったから夕飯の時にもう少し弁当に入れてよ。と言ったら『バカ言え。あれは高いんだぞ!そんなに弁当に入れられるか。もったいねぇ』なんて親父から言われちゃったよ。あの穴子の佃煮は日本一だね!」と話してくれました。

 早速インターネットで調べてみるとテレビの影響で問い合わせが殺到していました。
 夫に二ヶ月先まで待たなければ購入できないと話をしたら「テレビの力は凄いなぁ」とちょっぴり残念がっていました。
 その夜、私はすがる思いで佃煮屋さんにメールをしました。
「夫は去年の夏に肺癌がみつかり闘病中です。一時は良くなって退院しましたが、癌が脳へ転移してしまい今年の一月に再入院しました。現在は痛みと吐き気で食べる事さえままならない状態です。そんな夫が穴子の佃煮をとても食べたがっています。私には食べたい物を食べさせてあげるくらいの事しかできません。夫は二ヶ月先まで待てない病状です。厚かましいお願いですが、どうか少しで結構ですから分けて頂けないでしょうか」
 翌朝御店主から「ご連絡頂きまして誠にありがとうございました。ご来店前にお電話にてお知らせ頂ければお取り置きさせて頂きます。日々ご看病大変でしょうがお体ご自愛下さい。ご連絡お待ちしています」返信メールが届いていました。
 思わずパソコンに向かい「ありがとうございます」と手を合わせ、頭を下げていました。

 隅田川に架かる柳橋の袂のお店に伺い、御店主に何度も何度もお礼を言い、穴子の佃煮を買って急いで病院へ向かいました。
病室に入るなり「今日はあなたが大好きな物持って来たわよ」と言いながら包みをほどき手渡すと、夫は驚いた顔で「よく手に入ったね!そうそうこれこれ日本一旨い穴子の佃煮なんだ」嬉しそうに言いました。
 早速穴子の佃煮を細かくほぐして夕飯のおにぎりにのせてあげると、癌の転移で右手が使えなくなっていた夫は不慣れな左手でおにぎりを口に運び「この味この味だよ。ほら食べてみろよ旨いぞ!半分持って帰って子供達にも食べさせてあげてくれよ」子供時代にもっともっと食べたかった思いが蘇ったのでしょう。子供達に食べさせたがっていました。
 最近では珍しく小さなおにぎりを一個半ほど食べました。

 来る日も来る日も癌と戦い、満足に食事も摂れなかった夫の喜んで食べている姿を見ていたら、うれしさと切なさで胸が熱くなり、溢れてくる涙を抑えるのに必死でした。 

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