涙でにじんだ東京タワー

 日差しがジリジリと照りつける癌センターの駐車場を、夫と並んで歩いたのは去年の今頃でした。
癌センターの異様な雰囲気に飲み込まれそうになりながら、長い時間順番を待っていると、ようやく名前が呼ばれました。診察室に入ると、ドクターはレントゲン写真を見ながら「検査結果が出たらすぐに入院です。準備をしておいてください」心構えが何も出来ていない私達に淡々と言いました。

 健康に自信があった夫は自分の病気を受け入れられず、漫画を読んだり映画を見たりする日々を過ごしています。
「なんで病気から逃げているの!どうして癌に立ち向かおうとしないの!」私の心の中は、もどかしさと苛立ちでいっぱいでした。
 私の思いが夫に通じたのでしょうか、夫は徐々に病気を受け入れ始めました。ようやく今後の話し合いができ、癌センターから都内の病院を紹介してもらい、入院しました。
 次第に夫は陽気で朗らかになり、病棟のムードメーカーになっていきました。
 週末に外泊許可が出ると、金曜日の午前中には治療が終わるので、午後は家に帰って来られます。夫は私の手料理を満足そうに食べ、家で過ごす喜びに浸っていました。
 ある日、病院へ戻る途中で東京タワーに登った時「俺が癌をやっつけたら特別展望台まで登ろうな」夫は楽しそうに言いました。
 治療の甲斐があり、癌細胞はとても小さくなってきました。待ちに待った退院です。家族も私も、勿論夫も、これからどんどん良くなり元気になると信じていました。

 退院して一ヶ月半が過ぎた頃、夫は頭が痛いと訴え始めたのです。病院の待合室で突然歩けなくなり、その場で入院。癌が頭に転移していました。再び放射線と抗癌剤治療が始まり、副作用に苦しんでいましたが「俺は絶対癌なんかに負けないぞ心配すんなよ!」夫は痛みを隠し、私を励ましてくれました。
 私は仕事と年老いた姑それに子供をかかえ、夫のいる病院に行きたくても儘なりません。週に二回がやっとでした。
 有り難いことに、院内での携帯電話メールは許されていたので、私達は恋人時代のように頻繁にメールで会話をし、お互いに会えない寂しさを埋めていました。
 病院へ行く度に夫の病状は悪化しています。夫の前では泣かないように気を張っていましたが、癌と闘っている辛そうな姿を見ると、何もして上げられない悔しさと切なさで胸が潰れそうでした。
 涙ぐむ私に「ご主人すごく頑張っていますよ!奥さんお痩せになりましたね。ちゃんと食べていますか?泣きたい時は我慢しないで思い切り泣いた方がいいんですよ」看護師さんは、優しい言葉をかけ気遣ってくれます。
 夫のたっての願いで友人知人に病気の事は知らせていなかったので見舞客はいません。
 看護士さんは時間を見つけては、痛がっている夫の足をマッサージしながら、見舞客のいない夫の話し相手になってくれました。
 息子と会いに行った時「嫁さんにするならこの病院のナースにしろよ。ここのナースは一流なんだ。いい娘ばかりだぞ」と高校生の息子に真面目な顔で言っていました。

 寝たきりになってしまった夫の身体中に、ガン細胞は広がり、強烈な痛みと吐き気を与え続けています。
 天命が尽きる時が迫ってきたようです。
 妹が電話で「すぐ東京に行くわ。家の事は私に任せて兄さんの側に付いててあげて!」と言って、宮崎から飛んで来てくれました。
 東京タワーが見える病室で、泊まり込みの付き添いの始まりです。
 夜空にライトアップされ神々しくそびえ立つ東京タワーに癒されながら、意識が混濁している夫に、新婚時代に毎週行った日帰りスキーの事、一緒にしてきた仕事の事、二人でした子育てや、家族で行ったキャンプ等、二十年間の数々の思い出を語りかけ続けます。でも夫は黙ったままです「癌をやっつけて特別展望台まで登るって約束したでしょ。眠ってばかりいないでなんとか言ってよ。あなたの声が聞きたいの」思わず叫んでいました。
 付き添って十日目の夜、呼吸が浅くなっていく夫の手を握り「よく頑張ってるね。辛いね。痛いね。苦しいね。もういいよ。楽になっていいんだよ。一緒にお家にかえろう」泣きながら言いました。
 二十一時三十分、夫は家族に見守られながら、穏やかな顔つきで息を引き取りました。癌が発見され十ヶ月、享年五十一歳でした。

 今はまだ、涙で霞んで見える「東京タワー」です。でも、月日が経てば「東京タワー」を見る度に、夫と過ごした最後の十日間と、看護士さんや親切にしてくださった方々を、感謝の気持ちと共に思い出すでしょう。

コメント

NONさん がんばれ!!

明るく!
がんばれ!

そうだ 家の中に幸せはないかもしれん。
明るい光の中で山でも野でも旅でも・・
きっと楽しいことが待っているぞ!
そこから、これからが始まるんだ。

kaze dayoriより

kazeさん 励ましありがとうございます。

山と出会って、気持ちが解放されました。

これからは外に出て、おひとり様の人生を楽しみたいと思えるようになりました。

いいご主人だったんですね。読んでいて涙が出ました。
でも羨ましいな~今の私は夫に対してこんな風に思えないから。短くても仲良く過ごせた20年は素晴らしいですよね。うちなんて夫も私も健康ですが喧嘩ばかりの17年ですよ。何度離婚を考えたことか。
夫が亡くなるときこんな風に思えないだろうなと思いますもん。
憎まれっ子世にはばかるだから家の夫は長生きするだろうな。

深雪さん

相思相愛、優しい夫でした。
今でも、時々泣いてます。

喧嘩出来るのもいいじゃないですか、お互い言いたいことは言い合った方が気持ちいいかもしれません。夫とは喧嘩らしい喧嘩はほとんどありませんでしたが、夫が我慢してたのかもとふと思うことがあります。

今は、夫の分まで生きなきゃて思ってます。

スカイツリーの成長をずっと見守って来たのは、
旦那さんとの思い出があったからなんだろうね。

登れる日が来たら、
旦那さんの写真を持って一緒に登ったら!

でも、これだけは言えるね。
今のNONちゃんは旦那さんの分まで頑張って生きてるなということ。

きっと、旦那さんも喜んでいると思うよ(^-^)

ベランダから東京タワーが小さく見えていたの
今はスカイツリー横のでっかいビルで見えなくなった。

そのかわりスカイツリーがで~んと見える
辛い思い出の東京タワーより、成長めざましかったスカイツリーが私には良かったのかもしれません。

彼の分も楽しく生きなきゃと思ってます。

美穂さんの写真へのコメントからここへ
読ませていただきました
文字盤がにじんでいます

たくさん楽しむことが
何よりの供養だとおもいます

嫉妬しながらも よかったよかったと
うれしいはずです

まもさん

夫が他界して3年が過ぎました。
気持ちの整理をするために書いたこの文章、読み返せば今でも涙が出てきます。

どこにいても、いつも夫が見守っていてくれている気がするので、あちこち出かけて、夫を連れて行ってあげようと思っています。

コメントありがとうございました。


前向きで元気なNONさんに、こんな辛いことがあったとは!!!
 大切な人を亡くすのは、きっと言葉では語り尽くせないのでしょう・・。

 51歳ですか。まだまだ早すぎますね。

 当たり前のようにそばに居ても、いつか別れる日がくるのかと、私は
 漠然と思っていますが・・。

 そばに居ると、当たり前になってあまり感謝しない夫に息子達、それに
 実家の両親、きょうだいなど悔いのない様なつきあい方、別れをしたい
 ものだと・・。読んでいてそんな気になりました。

かすみんさん

夫が逝ってしまって5年になろうとしています。
こんな時に夫がいてくれたら・・・と思うこと多々あります。
でも、いつまでもくよくよしていられない、そんなの夫は望んでないはずだから

何かに没頭していれば、寂しさも忘れ、生活に張り合いがでてきます。
その何かがたまたま「山」
良い仲間に恵まれて、夫の分も楽しなまきゃって思ってます。

ご主人お子様ご家族 大事にしてください。

NONさん
はじめまして。
趣味人からリンクしてブログ拝見させて頂きました。
私の妻は大腸癌で2003年48歳で旅たちました。
前年病気が見つかり摘出手術をし、その後は普通の生活を送っていた(仕事もしてました)
んですが2月に再発し同じ月、アットいう間に逝ってしまいました。
テレビドラマや映画で見るように残された時間にいろいろ話をしたかったのに何も出来ませんでした。
それが一番の後悔です。
NONさんが羨ましいです。


ひろさん
 
つたないエッセイを読んでくさりありがとうございます。
パートナーを無くすのは親を亡くすより辛く悲しいことです。
今年で7回忌を迎えます。
奥様を大腸がんで・・・48歳で他界なされたなんて早すぎます

夫に話をしても返事が返ってこない最後の10日間は辛かったです。
今は夫の分も生きなきゃって思ってます。
ひろさんも、奥様の分まで長生きしてください。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

のんびり写真館

  • のんびり写真館
    写真だけのブログ始めました。 山や街で撮ったお気に入りの写真を大きいサイズでご覧いただけます。

マイホームページ

  • のんびり~な
    2001年頃から作っている愛犬・愛猫の記録HP、ブログ中心の為ただ今更新はしていませんが可愛いワンコとニャンコを見てやってください。
2015年12月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

楽天